【 浮世しのぎ 】とは、2016年に立ち上げた和紙の衣服である〈紙子(かみこ)〉を主軸としたレーベルです。 和紙を主原料として〈麻〉〈絹〉〈本革〉など、特にこだわりの強い素材を用いた提案をしています。
紙子
2014年、和紙がユネスコの無形文化遺産に登録されました。認定された3つの産地の和紙の共通点は〈国産の楮が原料〉及び〈流し漉きの方法による手漉き和紙〉であることです。世界に認められるのは、めでたいことなのですが、実のところ、これは紙子の素材となる和紙の製法すら途絶えようとしているという警鐘に他なりません。日本の先人たちが和紙を如何に活用し、どう付き合ってきたかという伝統については、閉ざされたままなのです。和紙を衣服として活用する〈紙子〉としては、歌舞伎衣装とお水取り法衣でしか存続しておらず、目にする機会すら中々ありません。
ひと口に和紙の衣類と言っても、和紙を細い糸にして織り込んで布にする〈紙布(しふ)〉を仕立てたものと、和紙そのものを着る、まさに紙の衣服である〈紙子〉とがあります。
〈紙子〉とは、和紙自体に強度を増す加工を施して作られ、〈紙衣〉とも書き、〈かみこ〉〈かみころも〉〈かみぎぬ〉などと呼ばれます。その歴史は古く、和紙が大量に普及し、紙本来の書くという目的以外に、衣料として着用される様になったのは、平安中期と言われ、源平合戦の頃には防寒着として用いられていたようです。
絹より安価なことで庶民の衣服と想像しがちですが、むしろ風流な印象が愛され、丈夫で軽く、持ち運びが簡単なため、特に武士や俳人等に好まれてきました。親鸞が愛用したことでも知られ、松尾芭蕉も〈かげろふの我が肩に立つ紙子かな〉という句を残しています。一般的に〈紙布〉は女性も使いますが、〈紙子〉は本来男の衣服だと言われています。
島田 康子
【和次元・滴や】が、〈紙子〉に取り組めるのは、島田康子女史との出会いによるものです。
島田女史は「着られない〈紙子〉に価値はない」と作るデザインに適した加工で仕上げてくれます。当然【和次元・滴や】も、着るための和服しか作らないので、和紙にこだわり過ぎて着づらい物とならぬ様、異素材との組み合わせにも工夫をします。
島田女史が作る〈紙子の原紙〉から〈現代の紙子〉を生み出す仕事が、【和次元・滴や】に託されました。それが、【 浮世しのぎ 】なのです。
島田謹製原紙
島田女史は、数々の技法により和紙を強くし、紙子の素材となる原紙を作られています。その技法は、仙台市の柳生地区に伝統として残っていた〈柳生強製紙(やなぎうきょうせいし)〉の製作方法に準じています。伝統技術保持者の阿部久右ヱ門氏より伝授されたものだそうです。(現在では後継直系の方は廃業されています)
そんな中で、島田女史の存在は奇跡的だと言えます。
島田女史は40年近くの経験を積みながら、実に柔軟な思考をされる方です。伝統を継承することを目的とせず、伝統の技をベースに、今に生きる〈紙子〉を作るべく、唯一無二の〈紙子の原紙〉を作り上げてこられました。
元の和紙は、国産の楮を原料に伝統ある漉き場にて手漉きしたもので、ユネスコの無形文化遺産と同じです。その和紙に、煮る、コンニャク糊の塗布、藍・ベンガラ・黄土・松煙・柿渋などによる刷毛染め、揉み込み等を繰り返して、強度と防水性を高めていきます。そうすることで、およそ紙とは思えない丈夫な〈紙子の原紙〉が出来上がるのです。そしてさらに、芯を貼る等の仕立てのための処理をしつつ、丈夫な縫製を行います。
浮世しのぎの紙子
現代において、〈紙子〉は〈着る無形文化遺産〉でもあり、安価にはなりませんが、美術品にしてしまうと〈紙子〉の良さは理解できないため、普段使いに耐えうる様、しっかりとした丈夫な縫製で仕上げています。
〈紙子〉の特性は筆舌に尽くしがたく、和紙を揉み込んでいく工程などでは、「手の方が擦り切れそうだ」と島田女史は表現されています。硬く、縫製も困難で、我々の知る紙とはまったくの別物なのです。
「和紙はユネスコの文化遺産なのだ」と得意気になったところで、我々日本人は和紙のチカラなど少しも知りません。多くの人は〈紙子〉の性能や耐久性を侮ることでしょう。しかし、〈紙子の原紙〉は力強く、簡単には縫えないほどです。それほど丈夫でありながらも、断然軽く、雨には強く、濡れても軽く拭けば良いのです。着れば着るほど味わいが増し、たとえ破れても、和紙を重ね貼ることで修理が可能です。布繊維の衣類と同様に捉えず、まったく別物の衣類として扱うことで、〈紙子〉は軽くて暖かく、メンテナンスも簡単な面白味のあるものだと気付くことでしょう。
我々の使い方次第であり、最後の仕上げは着る人に任される、それが《浮世しのぎの紙子》なのです。